すごい人になる必要ってあるのか?
最近色々な件が重なって改めて考えたこと。
私は小さな頃から哲学とか、心理学的なことを考えることが好きで、学生時代は図書館に入り浸って読書しては自分なりにこの世界の真理を追い求めていました。(大学で専攻しようとか仕事にしようとかは思わなかったけど)
※まあ、哲学とかってヒマな人が嗜むものだと思うんだけど(私ヒマだったんだよね笑)
で、その頃自分の中で確立した考え、今に至っても一貫して変わらない真理だと思っていることが、
天は人の上に人を造らず
人の下に人を造らず
である。
あ、ただの福沢さんのパクリ笑
しかし、この言葉がまさにそのまんま私の根底にある考え方なのです。
補足するなら、
人だけではなく、
万物全てに、上も下もない。
だから、
すごい人!
とか、
これやったから、これ持ってるからすごい!
とかもただの思い込み。
すごい人なんてそもそもいない
だって、その考えでいくと、
逆に、すごくない人、しょうもない人、てのが相対的に出てくることになる。
すごいとかすごくないとか何基準なの?
お金持ってるからすごいの?
じゃあ、お金ってどの程度以上持ってたらすごいの?
社会的に成功してたらすごいの?
成功って何?何をもって成功なの?
友達たくさんいたらすごいの?
結婚して子供いて仕事もバリバリしてたらすごいの?
毎日苦しまずに生活できてたらすごいの?
じゃあ逆に、
日々悩みに苛まれながら愚痴ばっかり言いながら生きてる人はすごくない人でダメな人なの?
貧乏で仕事で失敗ばかりしてたらすごくない人でダメな人なの?
恋人にふられ落ち込んでる人はすごくない人でダメな人なの?
絶対的真理と、誰かの世界観や思い込みの断定は別物だ。
誰かの世界観や思い込みを考えもなく受け入れることは信仰宗教にハマることと一緒。(すごい(と思っている)人が言うから、そうなんだろう、という根拠にならない根拠なんだよね)
誰かを崇拝し、盲信しては、自分の人生を生きていないものと同じだ。
すごい人なんていないんだよ。
自分がその人をすごい人!と決めたからすごい人になるだけ。
私はいつでもどんな時も私であり、誰かに巻き込まれるつもりはない。巻き込まれるかどうかは自分で決める。
私はすごくもなければすごくないわけでもない。
私は私、ただそれだけ。
ここの焼菓子はなかなかハイレベル。