良い人をやめる実験
ちょっと前から、意識的に、「良い人になろうとすることをやめてみる」ということを始めています。
これが意外とくせ者で、かなり盲点になっていて、その「良い人になろうとしている」という行為そのものに気づいていない場合が多く、「やめてみる」にすら至れない。
例えば、私はよく、「喜んでほしい」という思いから、職場の人にお菓子を買って行くことがある(お土産でもなんでもなく)。
これなんかは、喜んでほしいという、一見、人への思い遣りにみえるし、自分が能動的に、「やりたいことをしている」から、犠牲的ではないと思える。
しかし、最近、職場の同僚から、
「あなたの良いところってどんなとこだろうね…
…
…
…
あ、面白いところやな!」
と、頼んでないのに(笑)、しかもかなり考えてからこんな評価を言われて。
その時、私はなんだかもやもやして、それが何なのか、考えてみてたら。
そしたら、浮かんだことが、
「いつも色々優しくしてあげてるのに」
「いつもあんたのどーでもいい話聞いてあげてるのに」
「食べたい言ってたお菓子買ってきてあげてるのに」
要するに、
「良い人と思われることしてあげてるのに、なんで評価ポイントが面白いとこなんよ!私のこと優しい人と思えよ!」
っていうこと。
怒りというか、がっかり感。
そう言えば、この良い人と思われようとする行為って、小さい頃からしてきてた気がするし、あまりに長く自分の心を騙し続けてきたからか、本当は純粋な思い遣りからじゃないなんて気づいてもいなかった。
相手が喜ぶ姿が嬉しかったから。
まるで、優しい思い遣りある人に聞こえるけど。
結局それも、相手の評価に依存した喜びなんだね。
自分が善意でやる行動の裏にある、冷たい(と思っている)自分に気づき、そんな自分自身を認めて、その冷たい自分で生きることを選択すること。
これもまた自分を大切にすることなのだと思いました。
今晩は久々の眠眠餃子。
3のつく日は餃子半額なんだよ。
ごはん、餃子、ビール最高!